萬葉集全20巻、4,516首の書き写しが30か月かかってこの3月に完了し、次は何をどうしようかと、老いた爺が老い先の残り時間も思案して、旧約聖書の書写はどうかと、まずは「創世記」(邦訳)だけを書き写してみました。これは4月の初めから6月半ばまで約70日で書写を完了しました。次の「出エジプト記」以降、旧約の書写をこのまま続けるには100歳を超える生命が必要になりそうなので、ちょっと考え直しました。

そして、創世記の英訳を活字体(typeface)ではなく筆記体cursive)で書写してみようと思い立ちまちた。今もそうかもしれませんが、私の年代は中学校時代にかなり徹底してalphabetの筆記体を教えられ、練習しました。私の場合は特に、先生の一人がアメリカンのハーフで、板書するアルファベットも伸びやかな美しい文字を書かれ、生徒たちにもかなり厳しく指導されましたので、なぜか?アルファベットの筆記体は昨日覚えたかのように大文字も小文字もよく記憶しており、書くことも出来ます。

しかし、同じ書くならより正確で美しいアルファベットを書かねばと。ネットでユーチューブも含め、アルファベット筆記体はこう書くんだよというような動画を幾つも幾つも観ましたが、観て結論づけたことは、ネットで筆記体を教えている人たちは、それぞれが自分の書き癖にほとんど頓着なく、端的に言えばほぼ百%、みんな我流の筆記体を教えようとしているということです。

ネット上で教えている人間の顔も見えなければ、人に教えることについての資格(certificate)を持っているかも分からず、どういう学歴、経歴かも全く分からない人間が「これが正しい」と教えているのがネット上の筆記体の書き方です。

中年以上の日本人があらためてアルファベットの筆記体を学習し直したいなと思うなら、一番良いのは、中学校の英語のテキストに筆記体も載っているはずだから、それを手本として手習いすることだと思いますよ。

ついでに、日本での「英会話」の習い方について一言付け加えておこうかな。

今はコロナ禍で自粛しているところがほとんどだと思いますが、ヒマを持て余した中年以上の女たちが、友達と語らって英会話を教えてくれる講師を探し、教室を持つケースが少なくないと思います。

私は、仕事をしていた現役時代から必要に迫られてかなりオーソドックスに英会話を習い、使っていましたから、今でもそれなりに話しますが、ある時、一回り年上の友達が英会話を習いたいと言い出し、コミュニティセンターで開かれている小グループの英会話教室へ試験的に連れて行きました。私も参考のためそばで聴いていましたが、講師の男の英語のあまりの酷さに驚きました。早口過ぎる、テキサスかどこかの州の訛りがひど過ぎる、それを女の参加者たちが真似て話そうとしている。

というように、日本で英会話の講師をやっている人たちにはさまざまなれヴェルが有って、ネイティブで英語または米語を話す人間だけでなく、ある程度以上の英語を話す人間ならインド人やフィンランド人などでも日本で気楽に英会話教室を開いているということです。個人の英会話講師など、資格も無ければ教養も無い、声の質も悪いなど、たとえば米国内ではとても通用しないような「講師」が掃いて捨てるほど居るということを頭の片隅にでも置いておいたほうが身のためだと思いますよ。

いつの間にか「絶滅危惧種」になりつつある、一部はなってしまった戦前生まれの、その一人として、現在の皇族についてきょうは触れておこうかな。

私がまだ子どもだった頃から、当時の日本国民は当時まだ皇太子であられた現上皇陛下とその御弟であらせられる秩父宮殿下の御兄弟関係を常に微笑ましく受け止め、畏れ多いことながら見守らせていただいたものでした。兄殿下であられた現上皇は英邁で優しく、将来の天皇として申し分ないお方であらせられ、実際、天皇ご在位30年間を美智子皇后陛下とともに日本国のため、国民のため、これ以上無いと言えるほど天皇としてお尽くしになられたと、限りない尊敬とともに感じております。

また今上天皇は、私よりちょうど20年と1カ月お若くあらせられますが、御父君の血を受け継ぎ、雅子皇后とともに真に世界に誇ることの出来る日本の象徴となられ、日々ご努力をお続けいただいていることに深甚なる尊敬の念を抱いております。今上陛下ご夫妻の万々歳を心底お祈り申し上げております。

その一方で、畏れ多くも直宮家を賜りながら、あの秋篠の一家の存在は皇族としては恥そのものではないかと私考する。皇嗣という称号まで新たに奉られておきながら、文仁の言動は皇族としての己の運命、というより宿命をまだ十分に理解せず、受け入れることも出来ていない、皇族として不適当としか言いようがない存在かと苦言を呈する。

夫が夫なら、皇嗣妃の紀子の言動も目に余るところが在るように思う。この二人ともが、自分たちはあくまでも天皇家の「従」たる立場であることを認識、受容せず、結果として皇族の恥晒しになっていることが理解できていないのではないか。

だからこそ、出来の悪い娘二人も、何の不自由もない皇族に生まれ育って、ただ我が儘に振る舞うことのみ学習し、皇族の一員として学ぶべきことは何一つ身についていないのではないか。

もともと、この紀子の出自である川島という姓は、私の知る範囲では朝鮮から来た在日に多い姓だが、在日と関係が有るのか無いのか。

上皇の御弟、常陸宮殿下と比較するのも烏滸がましいが、文仁君には、常陸宮殿下の爪の垢でも煎じて飲ませてもらってはどうか。この一家も全く同様だ。場合によっては秋篠などという宮家は廃家すればよいのかもしれない。

それはそれとして、今上陛下、皇后陛下万々歳をもう一度。

 

国費(=国民の血税)を流用、悪用、盗用するのは、関西では犯罪大学、略してハンダイ(犯大=阪大)だけかと思っていたら、やはり京大でも中には悪いことをする奴らも居るんだね。大体、国立大学というと、私大と違って金の心配は全くない、ただ多いか少ないかだけの問題で、一生懸命に学生を育てなくても給料は十分に貰える、結構な御身分なのだが、いつの間にかそれでも足りないと思うようになってしまうんだね。初心を忘れるわけだ。

阪大=犯大は常態的に金の悪用をする輩がうようよ居るんだなということは、近所に住んでいる名誉教授という肩書の年寄りを一見しただけで「さもあらん」と頷ける。この輩は、己が犯罪にまみれた大学の中で泳ぎまわっていたものだから、他人もそうに違いないという目付きで他人様を見る。まぁ、国立大学の「名誉教授」など、皆そういうレヴェルなのだろうね。

今回の京大の5億円事件は、まだ自浄能力があったようで、その点は犯大とは一線を画して良いのかもしれないな。

 

昔だけでなく、また特定の街や地域だけでなく、今も、そしてどこの街、地域にも在る「魔女狩り」について少し述べておこうかな。「魔女」と言っても、対象は女だけでなく男も含まれている。ただ、狩りをするほうは、男であることは滅多に無く、何かの目的で集まった女たち、類を持って集まった女たちである場合がほとんどだ。

こちらの地域は、どちらかと言えば貧困の生活をしている人たちより、よその平均的な生活をしている人たちの多い地域よりもかなり裕福な生活をしている富裕層が多い地域だと言える。その中にも、私のように貧の谷間にあって、日々ギリギリ生きている者も居ることは居るのだが……。

その富裕層の多いこの街に、もう40年以上も前から続いている女声コーラスグループが有る。最初から男は入れない女声のみのグループだ。結成当時は30代、40代ばかりであったであろうメンバーも、今は70代、80代になり、80の半ばを過ぎた者もいるようだ。

大体、そのグループに入っている女たちは一定以上の富裕層で、その中の一部は、金とヒマを持て余し、品性や教養、人に対する優しさ、思いやりといった人間としての資質だけはどこを探しても持ち合わせがないという女だと言って間違いない。

コロナ禍で、しばらくはコーラスの活動も自粛されていたが、中の良いメンバーが例えばふれあいサロンなどでお茶を飲んで話に花を咲かせるということは出来る。そういう中に、人の噂話などには一切加わらない賢明な女たちも居る一方で、その手の話をせんがために寄り集まる女たちも少なからず居る。

地域の、自分たちがよく知っている男について、女について、珈琲のつまみ代わりにやり玉にあげる。噂話で済んでいる間はまだ罪が無いというか軽いが、自分たちで噂話をこね回した結果として産み出した、でっち上げた「虚像」に対して、それを裁こうとするようになる。そうなったら、罪が無いで済ますことは出来ない話で、これにはきっと神様の罰が、仏様の罰が当たるであろうことは間違いない、と私は思う。

こういう女たちは、コーラスという、一見上品な趣味、活動に集まっているはずであるにも関わらず、その顔には心の底の酷薄さ、無教養などがありありと表れているから不思議なものだ。現代の魔女狩りを日常的にやっていれば、当然、そういう顔付になるのだろう。

東京という村は、はっきり言えば田舎もんの寄り集まりで、例えば奈良や京都や金沢等の古都市の風格も無ければ、都市としての秩序やまとまりも無い、と私考する。

だからこそ、コイケ君でも何とか一期やらせてもらうことが出来たのだろうが、彼女は東京都政で何か実績を出せたのだろうか。こちらからは都政のことはほとんど見えないけれど、事、コロナに関する限り、無為無策の一語に尽きるような気がする。

日本語で適切に表現すれば良いものを、日本国内で日本人向けであるにもかかわらず分かりにくいカタカナ語を連発し、それがすべてでコロナの感染を阻止し収束させる具体的な、効果的な方策は何も打ち出せずに終わったのではないか。彼女は、自分がカタカナ語を発すれば誰かが具体的にコロナ対策を打ち出し、神様が感染を止めてくださるとでも思っていたのか。

そして、コロナ収束への見通しすら何もつかないままに、垂れ流しのままで放置し、次期へというのは余りにも無責任過ぎるような気がする。

彼女にほんの少しでも良識という部分が有るなら、今回の都知事選には恥ずかしくて出馬出来なかったはずなのに、やはり恥ずかしいとは欠片も思っていない厚顔無恥なのだろう。それにしても、出馬の顔ぶれにろくなのが居ないね。東京という田舎もんの集まる村だからこんなので罷り通るのかな。

 

田舎村の東京都政から翻って、こちらの地元の話だけど、共産党をバックにした中川智子君はもう終止符を打ってほしいものだ。外向けのパフォーマンスに終始し、真に市民サービスを充実させるようなことは何一つ出来ていない。していない。今回も、数年前の中二女生徒の自殺に関して二度目の第三者委員会の報告が行われたばかりだが、市教委の体質そのものに根本的な問題が有ると私は感じている。実質共産党市政で、日教組とはツーツーだろうし、市教委も含めて皆仲間。切磋琢磨の体質など望むべくも無いように思う。

もう一つ話題は有るけれど、これは別ページにしようかと。

忘れた頃のアベノマスク

きょう、6月14日(日)、梅雨の晴れ間ですが、とっくに忘れていたアベノマスクがポストにはいっていました。うちは、マスクを買うときはいつも60枚入りを2箱買い、1箱を使い始めて、半分ぐらいになると、次の1箱を買って備蓄するというローリングストックをしているので、今でも、残りの1箱は更のままです。

というのは、老夫婦は1枚の使い捨てマスクを外出を終えるたびに熱湯で洗って消毒し、干して、また使っているので、新しいのを卸す必要が無いのです。特に、コロナ禍が始まってからは余計に始末するようになりました。

4月ごろの朝日新聞の家庭欄か何かに、70半ばと思われる女が取材を受けての語りの中に、「皆さんマスクをちゃんと買っているようですけど、どこで買ったんでしょうかね」と、言外の意味を込めたような言い方をしているのが少なからず引っかかりました。20代、30代の新米主婦の発言ならいざ知らず、後期高齢者前後の女がこういう発言をすると、70数年の間に何を学んだんだろう、一度も危機はなかったのか、と学習能力すら疑ってしまいます。これは余談でした。( ´艸`)

いずれにしても、この役立たずマスクはどこへも寄附もせず、記念に取っておくつもりです。アベ君の代表的な失政の一つ、官邸政治の大馬鹿企画の一つとして。

それはそうと、10万円の給付金は、宝塚ではまだ(10日現在)振り込まれていないみたいですが、受け取ることもなく亡くなられた人も近所に居ます。可哀想です。

 

 

 

戦中、戦後の志摩半島の村は、日常の食べ物も貧しいものでした。ただ、都会から集団で疎開した子どもたちと違って、貧しくとも三食きちんと食べることは出来ました。それに、日本のどこの村でもそうだったのだと思いますが、家には味噌小屋があって、味噌を仕込んだ大きな樽が三つぐらい並んでいて、夏には蠅が卵を産みに来て、味噌の一番上には大抵、白い幼虫がたくさん浮かんでいました。

味噌汁にもその白い幼虫が煮えて浮かんでいましたが、当時の子どもたちはそんなものを気にせずに味噌汁をいただいていましたよ。

とにかく、食生活は貧しかったのですが、当時の農村の人たちは大人も子どもも、味噌をつけて野菜を美味しく食べることを知っていました。私も、親から言われなくても、海から帰ったとき、小学校から帰ったとき、屋敷の中の畑からいろいろな野菜を取ってきては味噌を着けて生のままご飯のおかずにしました。

生のまま、味噌を着けて食べたやさいは結構あります。

根菜では大根、人参。そして、茄子、胡瓜もありました。腹の減った子どもの舌には何でも美味しかったものです。

幼少の頃にそういう習慣があったものですから、今も、季節になるとスーパーで見る生野菜に味噌を着けて食べたくなります。そして、どれもやはり美味しいのです。

新生姜が出回る頃になると、白い肌の新生姜。端のほうに紅を差したような白い新生姜は、薄く切らなくてもそのまま味噌を着けてかぶりつけば、年老いた身でも食が進みます。

それと、辣韭も味噌を着けて食べると美味しいですね。スーパーでは、漬けるために大きな袋に入ったものしか売っていませんが、その横に、沖縄産の島辣韭という茎もついた小袋入りが150円ぐらいで売っており、それをきれいに洗って、茎もまだ萎れていない部分は残して、昼ごはん、夕ご飯の時に味噌を着けて、2~3本ぐらいずつ味わいます。

そして、時々辛~~~いのにも当たりますが、今の季節の獅子唐。これは味噌無しでも食べられますが、ヘタを取って味噌を着けると、それは美味しいおかずになります。

戦中、戦後、日本人は生き残るために手近にあるさまざまな食品を出来るだけ手間暇かけずに食べる知恵を持っていたのですね。そのかわり、栄養分としてはかなり偏っていたのでしょう。当時の子どもは私を含め、余り十分には発育出来なかったようです。

今の小学生、中学生と比べて、当時の子どもたちは平均的に身長も体重も足りなかったに思います。